強膜バックリング手術 ~後遺症編~
前回は、私が裂孔原性網膜剝離になった理由とblogを改設した経緯を大まかに紹介した。
今回は19歳の時に初めて行った強膜バックリング手術について、また10年苦しんだ術後の後遺症について記録しようと思う。
まず私の裂孔原性網膜剝離は、後天的な外傷性網膜剝離であった。
学童期から激しいスポーツをやっていて強い衝撃が顔面に当たることも少なくなかった為、ボクサーがなるような典型的な外傷性の裂孔原性網膜剝離だった。
まず網膜剝離の種類は、
・裂孔原性網膜剝離
網膜に裂孔(穴)ができ、そこから少しずつ網膜が剥がれる
・非裂孔性網膜剝離
・滲出性網膜剝離
炎症が起き網膜内に滲出液が溢れ網膜が剥がれる
・牽引性網膜剝離
糖尿病網膜症などによって増殖膜が作られ、網膜を引っ張り剥がれる
このようにカメラでいうフィルムにあたる網膜に何らかの障害が起こり、まず裂孔ができる。
体液が流入するなどし、時間をかけて網膜が剥離していった状態が裂孔原性網膜剝離と言われている。
主な原因は、
・10代で起こりやすい眼の打撲
・近視
・アトピー性皮膚炎
毎日たくさん眼をこすり、摩擦によって剥離する
・加齢
50代以上
・遺伝
網膜剝離が起こりやすい10代と50代以降は特に気を付けるべき年代だ。
網膜剝離の手術として頻繁に行われる強膜バックリング手術。
どんな手術なのかを大まかに、、、
まずは網膜裂孔がある場所の強膜を内側に凹ませて、網膜裂孔と眼球壁との距離を近づける。
そして網膜冷凍凝固術や網膜光凝固術を施し、網膜に凝固を作る。
さらに網膜を内側に牽引するのを防ぐ為に下の図のようにシリコンでできたバンドを強膜に縫い付ける。
私の場合は、ほとんど全ての網膜が剥離していた為、眼球一周にシリコンバンドを巻いた。
一周バンドを巻くと眼球は、内側に凹んでいる為半永久的にひょうたん型のような、いびつな形となる。
本来強膜バックリング手術は、術後のうつ伏せ体位をとるケースは少ないが、私の場合はガスを少し入れたため、2日ほどのうつ伏せ体位をとった。
この強膜バックリング手術は、長い歴史があり世界でも使われていた技法であるが、現在の主治医によると海外では、もう20年程前からやらなくなり私が巻いていた506番シリコンバンドも製造中止になっていると衝撃の説明を受けた。
私の強膜バックリングによる後遺症は主に
・ハイバックルによる眼球の締め付けられるような痛み
・ハイバックルによる血流障害
・眼精疲労
・眼球運動障害
・ハイバックルによって眼球がひょうたん型になっている為、極度の強度近視
・ピント調節不良(全くピント調節ができない)
・シリコンバンド部の瘢痕の痒み
・日中もメヤニが出る
・光視症
・凄まじい数の飛蚊症(自分で見えているだけで8個程)
・完全に左眼だけでモノを見ていた
・白内障
・緑内障
眼が見えないことはもちろん、それ以前に日常生活に支障が出るレベルの後遺症が残った。
これらの障害の中の痛みに関しては、年齢が若い時は(20代前半までは)ある程度睡眠をとれば回復へ向かったが、20代中頃から回復がかなり遅くなった。
この頃の視力は、0.06
元々、下瞼目頭から目尻中央くらいまでが大きく剥離していた為、中央から上半分が特に見えずらかったのだが、手術をしても中央から上半分は見えなかった。
(後に手術をしたのにそもそも網膜は止まっていなかったことが判明)
このような後遺症でも
嘘のような話だが、当時の主治医や他院の医師から問題ないと言われてきた、、、
術後は、何度も何度も打診に行ったが、
問題ない。のひと言
では、なぜ後遺症がないと断言されていたのにこんなに酷いのですか?
わからない。のひと言
もちろん仕事も満足にできず、遊んでいても痛みを感じなかったことは、一度もない。
物理的な圧迫による痛みだった為に、痛み止めは効かず、ひたすら我慢するしかなかった。
また、見た目の変化がさほど変わらなかった為、医師だけでなく周囲からの理解がされづらいことも心の大きな負担であった。
当時の執刀医には、
「バックリング手術で後遺症になっている人はいないから」
と伝えられていたが現実は
・術後の後遺症に苦しんでいる患者が多い
・根本的な治療ではない為、再発が多い
・強膜バックリング手術が悪い手術なのではなく、適切に手術ができる眼科外科医が日本にはまだ少ない
今や、インターネットで病気のことや医師のことを調べることができる。
私は、自身の経験から安易に医師を選ばずに、吟味する必要があることを学んだ。
手術件数等細かく下調べをするべきであった。
10年前に戻りたい。
心から後悔している。
「あの時は、医師を選んでいる場合ではなかった」
10年そう自分に言い聞かせたが、本当にそうであったか?
自問自答を繰り返す
いや、ちがう。
たしかに網膜剝離は、早期治療が必要であるが
1分1秒を争うものではない。
せめて1週間、いや、3日でいい。
都心の名医を片っ端から調べるべきであった。
視力は、出なくともここまで苦しい
若く貴重な20代は失われなかっただろう。