kotubuの網膜剝離日記~完治までの道~

このblogは自身の経験から誰かの何かの役に立ちたいという思いでスタートした網膜剝離等眼疾患について綴っているblogである。

強膜バックリング除去手術と硝子体手術 ~手術編~

 

4記事目 投稿

 

今回からは、やっと今年に手術した

バックリング除去手術と硝子体手術の話に入る。

 

バックリング除去というのは、眼球一周巻いているシリコンバンドを除去する手術である。

言葉だけだと、簡単そうに聞こえるが他院で巻いたバンドを除去することは非常に危険なようでバンドを除去したら水がピューっと出てきたりなど想定外のトラブルが少なくないようだ。

執刀医は、過去に何千件とこのような難症例を行っている医師であるが、何度も何度も手術が失敗する可能性を説明された。

視力も今より出なくなる可能性もあり、視力が下がっても文句を言わないでと何度も言われ、勿論サインもした。

それだけ難易度が高い手術なのだと痛感した。

正直私としては痛みが苦しかった為、視力は諦めていた。

体感としてもかなり手術の難易度は高いことは実感していて、他の医師に診てもらった時も手は付けられないと言われていたし、執刀医にも難易度が非常に高いから、正直手を付けたくない、現状維持を選択するのもひとつの良い選択だと説明を受けていた為、渋々でも手術を受け入れてくれたことに正直ホッとした。

 

手術までの過ごし方は何度も通院し、検査検査検査、、、

家ではYouTubeや本で不安を消すかのように勉強した。

兎に角、学術的で専門的な勉強をした。

二度と同じ失敗はしたくない、そう誓っていたからだ。

 

 

 

病院は、横浜

手術前日に病院の近くのホテルに宿泊

当日は8時に病院集合

 

受付を済ませ、検査開始

兎に角全国から患者が来院する為、ほとんどの時間が待ち時間。

気長に気長に過ごす

 

院長診が始まるのはだいたい11時頃

自分だけではない、他の重症患者もいることは知っていたので、診察も気長に待つ。

診察も終わり、手術までに点滴を入れておくので、点滴の準備。

そこからさらにただひたすら待つ。

手術中に嘔吐してはいけないので、お昼ごはんも食べられない。

ゼリーや飴を食べて小腹を満たす。

 

手術の順番は、軽症者から始まる。

私は、13人中11番目

 

午後はベッドでひたすら待機

呼ばれたのは19時だったが、手術室前の待合室でまたひたすら待機

手術室前に呼ばれたのは、20時45分頃

そこのベッドで40分ほどまた待機していたら院長が頭部にきて、局部麻酔開始

まず、下瞼に麻酔を効かせ、一挙に眼球内に挿入

言葉だけでは、恐怖だが麻酔の打ち方が、過去に手術された医師と比較するには失礼なほど丁寧であった。

もちろん痛くないわけではなかったが、許容範囲の痛さ。

すぐに痛みは消える。

ここで怖がって暴れちゃう患者がいるようだが、腕を信頼していた為、必要以上に焦らず非常に落ち着いていた。

 

麻酔はすぐに効く。

眼・鼻・右側上顎の感覚がなくなっていくのを感じながらゆっくり歩いて手術台へ、、、

看護師さんがテキパキバイタルを準備

そこからここでも20~30分は待機

 

22時前後 手術開始

 

 

バックリング除去は、シリコンバンドの端を切って除去する。

シリコンバンドは癒着している場合は、除去できないが幸いにも癒着はしておらず、除去後も危険視していた大きなトラブルもなく、無事に除去。

その後に続けて硝子体手術を行う。

私が受けた硝子体手術は、2㎜の小さな穴を3つ開け、そこから吸引カッター・眼内照射ファイバー・灌流液の管を通して行う。

 

よくあるパターンで

硝子体手術をする時に、水晶体も除去することがある。

①硝子体手術は水晶体が邪魔で難易度が高いから先に除去してしまう

 

②硝子体手術をすると、いずれ必ず白内障になるから白内障になっていなくても除去してしまう

 

③もうすでに白内障になっている

 

などの理由で白内障の手術も同時にやる場合がある。

しかし私は、白内障にもうすでになっていて症状もあるが

天然の水晶体に勝るものはない

年齢的にも良い方へ転ぶ可能性もある

ということで水晶体は残して硝子体手術をやってくれた。

感謝しかない。

 



そして網膜剝離の手術は、多種多様であるが原則

網膜を牽引しているゼリー状の硝子体の繊維を綺麗に切除することが大切である。

硝子体繊維は透明で見えにくい為、見やすくする為にステロイドの顆粒を吹きかけて除去していく場合もある。

この時の見え方は、とても幻想的で綺麗だった。

 

硝子体繊維を除去したら、穴の周りにレーザーを置く。

レーザーは、直後だとまだ弱いため、空気およびガスを入れて満たす。

剥離が大きいとオイルになる場合あり。

ガスは持ち上がる力がある為、2週間ほどうつ伏せ体位をとり、網膜は固定され、レーザー部は、瘢痕化する。

黄斑部は、大事な部分なのでいじらない。

 

3つの管を抜いたあとは、自然に溶ける糸で結膜の上から縫合。

場合によっては、後に抜糸することもある。

 

 

術中は、非常に落ち着いた状態で麻酔も局所のみだった為、眠らずに受けた。

執刀医は、常にずっと独り言を言っていた。

 

なんだ、非常にイージーな手術だな

こんな簡単な剥離を滅茶苦茶にされてなんて可哀そうなんだ

 

こんな感じで私がいかに辛い経験をしてきたのか、眼球内を見ると

手に取るようにわかるようで

スーッと心が軽くなった。

 

終わったのは23時手前

起き上がった時の身体が非常に楽だった。

頭痛もなければ身体もだるくない。

手も借りずにひとりでスタスタ歩けた。

10年前の手術とはえらい違いだ。

 

術後はすぐ手術室前で15分ほどうつ伏せを行い、その後病棟へ。

 

 

美味しい夜ご飯を食べ、うつ伏せへ。

 

この日は全力で助けてくれた執刀医とスタッフの方々、そして家族に感謝をし眠った。

 

 

 

写真は、1番美味しかった日のごはん。

 

本当にありがとう心から感謝をこめて。

 

 

 

 

強膜バックリング手術 ~手術編~

 

3記事目 投稿

今回は、バックリング手術の術中の記録を残したい。

 

網膜剝離が、町医者によって発見されてから今すぐに手術しないと失明すると急かされ

翌日、○○医療センターにて手術となった。

一通り検査をしてから病棟で待機。

午後になり鎮静剤を筋肉注射

これがまず激痛!!!!

痛みに強いほうだが、思わず叫ぶ

 

多少フラフラしながら歩いて手術室へ

 

手術台に寝転ぶ

バイタルの準備をしてもらいさらに右眼の上瞼に局部麻酔

これが激激激痛、、、!!!!!!!!!

鎮静剤は入れているが、痛すぎて叫んだ。

これは拷問だ。そう感じたのを強烈に覚えている。

麻酔の痛さも技術だろう、、、

 

ザクザク、、、ザクザク、、、

 

眼球の周りを切られているのを感じる。

怖いな、、、

ただ鎮静剤が効いたのかフワフワする、、、すぐに寝てしまった。

 

途中痛く目覚める。

 

「きゃはは~」

 

 

女性達の笑い声?

看護師?

手術中に笑ってる、、、

この人達に任せて大丈夫?

 

「水!水止めないでかけてて」

 

先生の声だ、、、

いやいや大丈夫かよ、、、

 

麻酔の追加

また眠る、、、

 

 

終りましたよー

 

 

ハッと目が覚める

と同時に

頭が激痛!!!!!!

トンカチでガンガンガンガン叩かれているような痛み。

身体は鉛を何十キロも身に付けているようなだるさ。

 

鎮静剤の副作用だ、、、

 

すぐにそう思った。

 

 

こんな感じで手術中も終始不安な手術となった。

 

執刀医は一人

その横に若い助手のドクター一人

周りに看護師数人

 

執刀医は、顕微鏡等使わず行っていた。

大きな病院だが設備は整っていなかった。

 

1時間の手術の予定が

まさかの3時間半、、、

 

 

術後、何故こんなに時間がかかったのか執刀医に聞いてみた。

 

全体的に手際が悪かったから時間がかかってしまった

 

それだけ言われ呆れて

 

ああそうですか。

 

とだけ言い診察室を出た記憶がある。

10年前の記憶だが強烈に苦い思い出だった為、鮮明に覚えている。

 

 

そして入院2日目

朝、術後の検査後

突然レーザーするからと説明もなく呼ばれた。

当時19歳

もちろん親の同伴なし

私は

いきなりだな~

と少し不審に感じたが、これも必要なことなのだろうと勝手に解釈し特に質問もせずにレーザーを行った。

 

このレーザーがチクっとした痛みが結構あって

 

レーザー治療も大変だったな、、、

と疲れて病室に戻った。

 

このレーザーが、今でも視力が出ない大きな原因となっていることが、名医に診てもらって初めて判明した。

 

 

今の執刀医に

術後レーザーのようなものをやらなかったかと問われた。

恐らく、術後に網膜が止まっていないことに焦り、レーザーを打ったんだろうと。

たしかに説明なしにレーザーをいきなり打たれた。

レーザーは、本当は打つか打たないかくらいのフワッと打たないといけないのだが、強く打ちすぎていてしかも手が滑ったような跡があり、強く打っているところの視細胞が一部壊死している。

その壊死しているところは、黄斑部付近の中央で一番視るのに必要な部分だから、網膜が綺麗に止まった今でも中央だけぼやけが強い。

執刀医が言っていることと、当時やられたこと、自分の自覚症状ががっちり合う。

 

これは完全に医療事故である。

と10年越しに判明したのだ。

 

あの時 あの瞬間

こうしていれば

 

と強烈に後悔した。

 

何度も言うが日本の眼科は正直に言ってトラブルが多い。

これから手術を検討している方は、徹底的に調べ、勉強し、慎重にそして妥協なく医師を選択してほしい。

 

 

 

 

 

 

強膜バックリング手術 ~後遺症編~

 

前回は、私が裂孔原性網膜剝離になった理由とblogを改設した経緯を大まかに紹介した。

今回は19歳の時に初めて行った強膜バックリング手術について、また10年苦しんだ術後の後遺症について記録しようと思う。

 

まず私の裂孔原性網膜剝離は、後天的な外傷性網膜剝離であった。

学童期から激しいスポーツをやっていて強い衝撃が顔面に当たることも少なくなかった為、ボクサーがなるような典型的な外傷性の裂孔原性網膜剝離だった。

 

まず網膜剝離の種類は、

・裂孔原性網膜剝離

網膜に裂孔(穴)ができ、そこから少しずつ網膜が剥がれる

・非裂孔性網膜剝離

・滲出性網膜剝離

炎症が起き網膜内に滲出液が溢れ網膜が剥がれる

・牽引性網膜剝離

糖尿病網膜症などによって増殖膜が作られ、網膜を引っ張り剥がれる

 

 

 


このようにカメラでいうフィルムにあたる網膜に何らかの障害が起こり、まず裂孔ができる。

体液が流入するなどし、時間をかけて網膜が剥離していった状態が裂孔原性網膜剝離と言われている。

主な原因は、

・10代で起こりやすい眼の打撲

・近視

アトピー性皮膚炎

毎日たくさん眼をこすり、摩擦によって剥離する

・加齢

50代以上

・遺伝

 

網膜剝離が起こりやすい10代と50代以降は特に気を付けるべき年代だ。

 

 

網膜剝離の手術として頻繁に行われる強膜バックリング手術。

どんな手術なのかを大まかに、、、

 

まずは網膜裂孔がある場所の強膜を内側に凹ませて、網膜裂孔と眼球壁との距離を近づける。

そして網膜冷凍凝固術や網膜光凝固術を施し、網膜に凝固を作る。

さらに網膜を内側に牽引するのを防ぐ為に下の図のようにシリコンでできたバンドを強膜に縫い付ける。

私の場合は、ほとんど全ての網膜が剥離していた為、眼球一周にシリコンバンドを巻いた。

一周バンドを巻くと眼球は、内側に凹んでいる為半永久的にひょうたん型のような、いびつな形となる。

 

 

本来強膜バックリング手術は、術後のうつ伏せ体位をとるケースは少ないが、私の場合はガスを少し入れたため、2日ほどのうつ伏せ体位をとった。

この強膜バックリング手術は、長い歴史があり世界でも使われていた技法であるが、現在の主治医によると海外では、もう20年程前からやらなくなり私が巻いていた506番シリコンバンドも製造中止になっていると衝撃の説明を受けた。

 

私の強膜バックリングによる後遺症は主に

・ハイバックルによる眼球の締め付けられるような痛み

・ハイバックルによる血流障害

・眼精疲労

・眼球運動障害

・ハイバックルによって眼球がひょうたん型になっている為、極度の強度近視

・ピント調節不良(全くピント調節ができない)

・シリコンバンド部の瘢痕の痒み

・日中もメヤニが出る

・光視症

・凄まじい数の飛蚊症(自分で見えているだけで8個程)

・完全に左眼だけでモノを見ていた

白内障

緑内障

 

眼が見えないことはもちろん、それ以前に日常生活に支障が出るレベルの後遺症が残った。

これらの障害の中の痛みに関しては、年齢が若い時は(20代前半までは)ある程度睡眠をとれば回復へ向かったが、20代中頃から回復がかなり遅くなった。

 

この頃の視力は、0.06

元々、下瞼目頭から目尻中央くらいまでが大きく剥離していた為、中央から上半分が特に見えずらかったのだが、手術をしても中央から上半分は見えなかった。

(後に手術をしたのにそもそも網膜は止まっていなかったことが判明)

 

このような後遺症でも

嘘のような話だが、当時の主治医や他院の医師から問題ないと言われてきた、、、

術後は、何度も何度も打診に行ったが、

問題ない。のひと言

では、なぜ後遺症がないと断言されていたのにこんなに酷いのですか?

わからない。のひと言

 

もちろん仕事も満足にできず、遊んでいても痛みを感じなかったことは、一度もない。

物理的な圧迫による痛みだった為に、痛み止めは効かず、ひたすら我慢するしかなかった。

また、見た目の変化がさほど変わらなかった為、医師だけでなく周囲からの理解がされづらいことも心の大きな負担であった。

 

当時の執刀医には、

「バックリング手術で後遺症になっている人はいないから」

と伝えられていたが現実は

 

・術後の後遺症に苦しんでいる患者が多い

・根本的な治療ではない為、再発が多い

・強膜バックリング手術が悪い手術なのではなく、適切に手術ができる眼科外科医が日本にはまだ少ない

 

今や、インターネットで病気のことや医師のことを調べることができる。

私は、自身の経験から安易に医師を選ばずに、吟味する必要があることを学んだ。

手術件数等細かく下調べをするべきであった。

10年前に戻りたい。

心から後悔している。 

 

「あの時は、医師を選んでいる場合ではなかった」

10年そう自分に言い聞かせたが、本当にそうであったか?

自問自答を繰り返す

 

 

 

いや、ちがう。

たしかに網膜剝離は、早期治療が必要であるが

1分1秒を争うものではない。

せめて1週間、いや、3日でいい。

都心の名医を片っ端から調べるべきであった。

 

視力は、出なくともここまで苦しい

若く貴重な20代は失われなかっただろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

裂孔原性網膜剝離 ~blog作成の経緯~

 

私の右眼は矯正視力0.08である。

0.08というと、眼が良い人からするとどれくらい見えないのか想像がつかないだろうが、視力検査で一番大きな「C」が全く見えず、看護師さんが画用紙を持って私の手前で検査をしてくれる。それでもはっきりとは見えず、微かに切れ目がどちらなのかがわかる程度である。

人によって見え方は大きく異なるが視力0.08とは、これほど見えないものなのだ。

 

私は生まれた時から眼が悪かったわけではない。

裂孔原性網膜剝離がきっかけとなり、視力0.08にまで下がってしまった。

 

私は幼い頃からバスケットボールを習い事で通っていた。

バスケやサッカーは格闘技のように激しいスポーツで相手の肘や膝が顔面に当たることは珍しくない。

所謂ボクサーがなる典型的な剥離であった。

網膜剝離が起きやすい年齢は、10代および50代以降

原因は違うが、10代は急にスポーツを始めたり、男の子だとヤンチャして剥離が起きるなど外傷性が多く、

50代以降は、眼の老化が急激に進む為、網膜剝離の危険性が非常に上がる。

 

私の場合は、前者であった。

 

眼球や顔面をを強打したとしても、保護者が冷静な判断を下し、適切に医師を選び、検査・診断をすればここまで悪化することは可能性として低いが、私が置かれていた環境は、怪我を精神論で片づけるような昭和臭漂う悲惨な環境であった。

その為、発見が遅れ症状が出てから病院に行った為、網膜がほとんど眼球一周剝がれていた。

もう既に視力はほとんどなかった。それが判明したのが当時19歳になったばかりの頃である。かなりの時間が経過していた。

 

当時の医師から告げられたのは

「今すぐにでも手術をしないと失明する」

「失明すると眼球が内側に入り、義眼をしなくてはいけないから見た目が悪くなる」

などの「見た目」の変化を強調され焦った若い私はすぐに地元の大きな○○医療センターにて「強膜バックリング手術」を行った。

 

「網膜は綺麗に止まった」

「成功したよ」

「視力も0.1~0.2は出るよ」

 

しかし視力が出るどころか、眼球を締め付ける痛みが酷い。

もちろん当時の視力は0.06であり、術前より出なかったのである。

ここから私の人生は大きく変わってしまった。

 

その後、都内の大きな大学病院に行ったが

「問題ない」

の一言で終わり

当時の執刀医へも何度も足を運んだが

 

「あなたみたいな人は全国にたくさんいるから(笑)」

「網膜も止まっているし問題ない」

 

…?

「強膜バックリングで後遺症になっている人はいない」

って術前に言ってたじゃん…

 

医師が詐欺師に見えた。

当時若かった私は、唖然とし言葉を発せず診察室を出た。

泣き寝入りするしかなかったのだ。

 

そこから私は、「痛み」という後遺症と10年間付き合うこととなる。

 

 

どこの有名だと言われている医師に診察してもらっても

「なぜそんなに状態が悪いと言うのかわからない」

と言われるだけであった為、半信半疑ではあったが医師がそういうのであればみんなこうなのかも、、、

と半ば諦めていた。

しかし状態は少しずつ悪くなる。

 

このままでは絶対に失明する。

本能的に危険を感じた。

 

 

そしてやっと少しずつ医療を学びながら名医を探した。

そこからは必ず眼科外科医にも名医はいるはずだと思い諦めなかった。

 

そして今年の夏にやっと名医に執刀医になってもらい

強膜バックリング除去手術と硝子体手術を行い、術後は順調。只今療養中である。

 

この経験から、日本の眼科医は世界と比べてとても遅れていることがわかった。

私だけではない、手術を何度も失敗され泣き寝入りしている患者とたくさん出会ってきたのだ。

 

 

当時私の周囲にいた大人たちが情弱であったこと。

今となってその環境に置かれていた当時の幼い自身を可哀そうに思うのである。

 

まだまだ知識の浅い若さで、人生が大きく変わってしまったこと。

当時は両親とも関係性が良好でなく、助けてくれる大人が少なかったこと。

都心に住んでいるわけでもない為、良力な情報が入ってくるわけでもなかったこと。

実家はインターネットに繋がっていないこともひとつの要因だったと考える。

 

このように私は、正しい知識の習得・日本にいる名医の捜索に必要以上の時間がかかってしまった要因は振り返ってみればいくつもある。

 

今やSNS等で情報収集・共有が可能になったが、20~10年ほど前はツールが少なく国民が正しい知識を持てる機会が少なかったように感じる。

ましてや島国。自ら情報を取りにいかなければ得るのは難しい。

 

ここ2~3年はYouTubeに「硝子体手術」と検索をかけるだけで名医が手術模様を発信している。

もちろん最先端の名医による白内障手術も見れるのだ。

さらに何十年もかけて身につけた知識をたった千円弱で購入し、勉強することだってできる。

これらの教材を使い正しい知識を身につけていくことができた。

この時代に感謝したい。

 

 

このような経験から、このblogでは自分がどんな道を歩んできたのか、

また誰かの知識として役に立てたらと思い、改設した。

 

一人で抱え、苦しんだ10年間

周囲は就職をし、遊び、結婚していく姿を見ながら、とても辛く長い生き地獄であった。

自〇願望を抱いた時期もあるが周囲の支えもあり、なんとかここまで来れた。

 

このblogを通して私が伝えられる範囲の知識や情報を綴りたい。

これから手術を予定していて何か少しでも情報が欲しい。

家族が網膜剝離になってしまって無我夢中で勉強している方に対して

時には厳しい現実を突きつける内容となってしまうが、不安を煽りたいわけでは決してなく、私のような被害者を一人でも減らしたい。

そんな気持ちで全て噓偽りなく記録していく。

 

 

※私は、医師でもなければ眼に対して素人である。

自身の経験や医師から教えて頂いたことをわかる範囲で発信していく。

 

kotubu