kotubuの網膜剝離日記~完治までの道~

このblogは自身の経験から誰かの何かの役に立ちたいという思いでスタートした網膜剝離等眼疾患について綴っているblogである。

裂孔原性網膜剝離 ~blog作成の経緯~

 

私の右眼は矯正視力0.08である。

0.08というと、眼が良い人からするとどれくらい見えないのか想像がつかないだろうが、視力検査で一番大きな「C」が全く見えず、看護師さんが画用紙を持って私の手前で検査をしてくれる。それでもはっきりとは見えず、微かに切れ目がどちらなのかがわかる程度である。

人によって見え方は大きく異なるが視力0.08とは、これほど見えないものなのだ。

 

私は生まれた時から眼が悪かったわけではない。

裂孔原性網膜剝離がきっかけとなり、視力0.08にまで下がってしまった。

 

私は幼い頃からバスケットボールを習い事で通っていた。

バスケやサッカーは格闘技のように激しいスポーツで相手の肘や膝が顔面に当たることは珍しくない。

所謂ボクサーがなる典型的な剥離であった。

網膜剝離が起きやすい年齢は、10代および50代以降

原因は違うが、10代は急にスポーツを始めたり、男の子だとヤンチャして剥離が起きるなど外傷性が多く、

50代以降は、眼の老化が急激に進む為、網膜剝離の危険性が非常に上がる。

 

私の場合は、前者であった。

 

眼球や顔面をを強打したとしても、保護者が冷静な判断を下し、適切に医師を選び、検査・診断をすればここまで悪化することは可能性として低いが、私が置かれていた環境は、怪我を精神論で片づけるような昭和臭漂う悲惨な環境であった。

その為、発見が遅れ症状が出てから病院に行った為、網膜がほとんど眼球一周剝がれていた。

もう既に視力はほとんどなかった。それが判明したのが当時19歳になったばかりの頃である。かなりの時間が経過していた。

 

当時の医師から告げられたのは

「今すぐにでも手術をしないと失明する」

「失明すると眼球が内側に入り、義眼をしなくてはいけないから見た目が悪くなる」

などの「見た目」の変化を強調され焦った若い私はすぐに地元の大きな○○医療センターにて「強膜バックリング手術」を行った。

 

「網膜は綺麗に止まった」

「成功したよ」

「視力も0.1~0.2は出るよ」

 

しかし視力が出るどころか、眼球を締め付ける痛みが酷い。

もちろん当時の視力は0.06であり、術前より出なかったのである。

ここから私の人生は大きく変わってしまった。

 

その後、都内の大きな大学病院に行ったが

「問題ない」

の一言で終わり

当時の執刀医へも何度も足を運んだが

 

「あなたみたいな人は全国にたくさんいるから(笑)」

「網膜も止まっているし問題ない」

 

…?

「強膜バックリングで後遺症になっている人はいない」

って術前に言ってたじゃん…

 

医師が詐欺師に見えた。

当時若かった私は、唖然とし言葉を発せず診察室を出た。

泣き寝入りするしかなかったのだ。

 

そこから私は、「痛み」という後遺症と10年間付き合うこととなる。

 

 

どこの有名だと言われている医師に診察してもらっても

「なぜそんなに状態が悪いと言うのかわからない」

と言われるだけであった為、半信半疑ではあったが医師がそういうのであればみんなこうなのかも、、、

と半ば諦めていた。

しかし状態は少しずつ悪くなる。

 

このままでは絶対に失明する。

本能的に危険を感じた。

 

 

そしてやっと少しずつ医療を学びながら名医を探した。

そこからは必ず眼科外科医にも名医はいるはずだと思い諦めなかった。

 

そして今年の夏にやっと名医に執刀医になってもらい

強膜バックリング除去手術と硝子体手術を行い、術後は順調。只今療養中である。

 

この経験から、日本の眼科医は世界と比べてとても遅れていることがわかった。

私だけではない、手術を何度も失敗され泣き寝入りしている患者とたくさん出会ってきたのだ。

 

 

当時私の周囲にいた大人たちが情弱であったこと。

今となってその環境に置かれていた当時の幼い自身を可哀そうに思うのである。

 

まだまだ知識の浅い若さで、人生が大きく変わってしまったこと。

当時は両親とも関係性が良好でなく、助けてくれる大人が少なかったこと。

都心に住んでいるわけでもない為、良力な情報が入ってくるわけでもなかったこと。

実家はインターネットに繋がっていないこともひとつの要因だったと考える。

 

このように私は、正しい知識の習得・日本にいる名医の捜索に必要以上の時間がかかってしまった要因は振り返ってみればいくつもある。

 

今やSNS等で情報収集・共有が可能になったが、20~10年ほど前はツールが少なく国民が正しい知識を持てる機会が少なかったように感じる。

ましてや島国。自ら情報を取りにいかなければ得るのは難しい。

 

ここ2~3年はYouTubeに「硝子体手術」と検索をかけるだけで名医が手術模様を発信している。

もちろん最先端の名医による白内障手術も見れるのだ。

さらに何十年もかけて身につけた知識をたった千円弱で購入し、勉強することだってできる。

これらの教材を使い正しい知識を身につけていくことができた。

この時代に感謝したい。

 

 

このような経験から、このblogでは自分がどんな道を歩んできたのか、

また誰かの知識として役に立てたらと思い、改設した。

 

一人で抱え、苦しんだ10年間

周囲は就職をし、遊び、結婚していく姿を見ながら、とても辛く長い生き地獄であった。

自〇願望を抱いた時期もあるが周囲の支えもあり、なんとかここまで来れた。

 

このblogを通して私が伝えられる範囲の知識や情報を綴りたい。

これから手術を予定していて何か少しでも情報が欲しい。

家族が網膜剝離になってしまって無我夢中で勉強している方に対して

時には厳しい現実を突きつける内容となってしまうが、不安を煽りたいわけでは決してなく、私のような被害者を一人でも減らしたい。

そんな気持ちで全て噓偽りなく記録していく。

 

 

※私は、医師でもなければ眼に対して素人である。

自身の経験や医師から教えて頂いたことをわかる範囲で発信していく。

 

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